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大瀬 優子


*生い立ち

宮崎県都城市生まれ
お目目ぱっちりのかわいい赤ちゃんで
声をかけてくれる大人に愛嬌を振りまいていた(らしい)。

2歳のとき、妹が生まれるということで
母と全く会えない数ヶ月を送った(らしい)。

幼少期は、農作業をする父・母の傍らで、
白つめ草やれんげ草で花かんむりを作ったり、
つくしやフキノトウを見つけて遊んだりして過ごす。

様子を伺いながら輪に入っていくタイプで
保育園の友達ともぎこちなく付きあっていたと記憶している。
が、家では歌手になりたくて、
工藤静香のモノマネをするなどひょうきんな一面もあった。
目を細めて、眉をひそめて・・・
“目っと目でつーじあうー そーいう仲になりたいわぁー♪”
(分かる人いるかな・・・)

小学校時代は、母に言われるがまま習い事三昧。
嫌々ながら通う日々。
友達の家に遊びに行きたくも、
心配性で保守的な母がよく思っていないことを察して、
次第に家で遊ぶようになる。

家の手伝いをしたい祖母として欲しくない母の
嫁姑問題の間に挟まれ、心を痛めていた。

母に気を遣って、友達の家に遊びに行けないので、
妹との相部屋を度々模様替えする日々。
お菓子作りや洋服作りもせっせとやった。

中学くらいからがわたしの暗黒時代・・・

中学校では水泳部の所属。
選んだ理由は、
「お金がかからないこと」→母が困らないように
「遠征がかからないこと」→母が困らないように
「挑戦しなくてもいいこと」→小学校時代にスイミングを習っていたからと、
今、考えるとかなり情けない。
この先、楽しくない人生を選ぶのが目に見える。。。

察しがよかったおかげで、
学校の授業を聞いているだけで、
先生が言いたいことがよくわかる。
数学や英語の解き方の仕組みを理解するのが得意だった。
一方で、目的もなく勉強することが大嫌い。
母が勧めるテストや受験のためだけの
塾通いは断固拒否した。
それでも、いつも成績はトップクラスで、
結局、人生で一度もわたし自身は塾に行ったことが無い。

いろいろなことを我慢して生活することが多かったので、
中学時代は早く大人になって自由になりたかった。

中学校3年生のとき、
自分の希望の進学先を親に伝えるも、
父の大反対に合い、何度もぶつかる。
しかし、最終的に、伯母から説得され、
親が納得する進学先を選ぶことに。
この選択がわたしを長年苦しめることになるとは、
このときのわたしはまだ知らない。

その後、最終的に選んだ高専に進学し、
それから20年以上にもなる建築の道に足を踏み入れる。

家庭教師や塾講師他いろいろなバイトを経験する。
家庭教師や塾講師をしておいて、こんなことを言うのもなんだけど、
自分の頭でしっかり考えられる子は塾なんていかなくても勉強できるし、
自分の頭で考えられない子が塾に行くのは親の気休めだなと改めて実感。

高専でも成績上位をキープし、高専5年間を無事に卒業。
熊本大学3年次に編入する。

高専・大学とそれなりに楽しいこともあったが、
建築オタクとも言える同級生を目の前に、
そこまでやりきれない自分に無力感がつのる。

大学卒業後、住友林業株式会社に入社。
丸の内の本社へヒールを鳴らして足を踏み入れたのが
今では嘘のよう。
大阪支店に配属されたときは、
大阪城のお隣の高層ビル31階から毎日大阪城を見下ろし、
自分のモノとは思えない日々を過ごしていた。

その後、広島や鹿児島に配属される。

お客様の家づくりのために心身を費やすも、
建築現場の近隣住民やお客様からの
お叱りや苦情に打ちのめされるなどで、
朝から晩まで働く。

楽しいことがありつつも、
この仕事をするのが好きだったわけではない。
この仕事をするのが得意だったわけでもない。
仕方なく、毎日働いていた日々。
しかも、勤務後の夜10時から職場の先輩(おじちゃん)に
イタリア料理レストランに引っ張り出される毎日・・・。

そんな生活で、結婚相手が見つかるか一抹の不安がよぎったが、
おじちゃんと通った天文館の道端にいる占い師の予言を受け、
仕事の関係者だった夫と運よく出会い結婚。

それを機に福岡配属となった。

結婚して1年後、第一子となる長女を出産。
出産後も働き続けるが、
仕事も家事育児もうまくいかないことばかりで中途半端に。
本当は子どもを優先したいのに、
保育園のお迎えは、時間ギリギリ(オーバーの日も度々)の仕事漬けの毎日だった。

そんな中、当時住んでいた福岡県内の自治体(市)で
建築技術職の募集があったので、受験したところ、
あっけなく合格し、公務員となる。

その後次女、長男を出産。

公務員になるも、周りに振り回され、人の目を気にして、
仕事・家事・育児に追われ、イライラする日々。

しかし、2020年に長女が不登校になったことをきっかけに、
その生活に終止符を打つ。

その後、児童発達支援 放課後等デイサービスの仕事を経験。

2021年3月「ひみつ基地 Jya-Jyaジャジャ」をつくることを決意。
2021年12月 福岡から鹿児島県曽於市財部町に家族で移住。
2021年  5月「さんすう教室 コポリKopoLi」もスタートさせる。
●ひみつ基地Jya-Jyaジャジャのサイトはこちらから●

現在、学習教室の採点支援もしている。



振り返ると、わたしの30代前半までの人生は、
自分の"今”の気持ちを無視して、
"未来”や"他人”のことばかり気にする
本当につまらんものでした。

それでも、今、新しいことに迷いなく踏み出せるのは、
これまでの生き方があるからこそです。
わたしは、人生の半分近くを、大きくしゃがみ込む時期に費やしました。
これからは大きくジャンプするのみ。
思いっきり、わたしの人生を楽しみたいと思っています。

同時に、これからの時代を生きる子どもたちには
意味もなく遠回りせずに、
持って生まれた自分らしさと自分の能力を最大限に活かして、
真っ直ぐ自分の生きる道を生きてほしいと願っています。

個人のインスタグラムは↓↓↓から